浅田顕インタビュー ロード・トゥ・ラヴニールプロジェクト発進「本物のプロを育てるために」

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「内容はごくごく普通のこと。今回のプロジェクトは、当たり前のことを、当たり前のようにやるだけです」

去る12月15日に、次世代プロロードレーサー輩出プロジェクト「ロード・トゥ・ラヴニール」発表記者会見を行った浅田顕は、さらりと言ってのける。なにも特別なことではない。真正面から、道を攻めるだけ。本物の日本人プロ自転車選手を輩出するために。現実的に目指せる未来へ、日本自転車界全体で到達するために。野に下り、世界に臨む。

プロロードレーサー輩出プロジェクト ロード・トゥ・ラヴニール2023年スタート

浅田顕氏

真のプロを作るために

いつかツール・ド・フランスに行く。そう高らかに宣言するだけで、自動的に招待状が舞い込んでくるわけではない。たとえ日本のコンチネンタルチームとプロ契約をしようが、国内でプロと名のつくレースをいくら転戦しようが、本場ヨーロッパでプロとして通用する選手という意味には決してならない。

「野球やサッカーの場合、プロという言葉に、ごまかしは存在しません。でも、自転車だと、なぜか日本国内では競技力が伴わなくとも簡単に『プロです』と言えちゃう。じゃあ、たとえばフランスやイタリアで、ものすごい競争を勝ち上がってプロになった選手たちと、果たして同じ土俵で戦えるでしょうか?」

ツールに本気で出たいなら、まずは本物の『プロ』になること。プロになるためには……すなわちUCIワールドチームやUCIプロチームの一員になるためには、本場の選手たちと同等のプロセスを経由するしかない。その道筋を正しく明確に示すものこそがロード・トゥ・ラヴニール(以下RTA)であり、『世界標準のパスウェイ』だ。

「とにかくジュニア時代からヨーロッパで走る必要があります。本場では常識です。つまりRTAを通して育てていくのは、『まだ見ぬ選手』。1回や2回、海外遠征しただけでは、なにも分からないでしょう。だからこそ6年かけて積み上げていきます。もしかしたら100人チャレンジして、かろうじてプロレベルに達するのは1人……という状況かもしれません。ただ少なくとも日本U23代表が毎年のようにツール・ド・ラヴニール出場権を得られる実力をつけ、しかも代表メンバーから最低2人はコンスタントにUCIプロチーム以上とプロ契約が取れるようならなければ、いつまでたっても日本が『ツールを目指す』と言える日は来ません」

日本人には可能だ

かつて浅田は「ツール・ド・フランスを目指す」チームを率いていた。ほぼ日本人だけで構成されたいわゆるエキップ・アサダは、日本史上初の欧州UCI1クラスのステージレース総合優勝を筆頭に、ツール・ド・リムザンで2度の総合表彰台、ブエルタ・カスティーヤ・ア・レオンで表彰台独占の大暴れ、ハイレベルなワンデーレースでの表彰台等々、手応えある成績を次々とあげた。

「あのチームが他のどことも違ったのは、ヨーロッパに拠点を作り、ヨーロッパを主戦場としたこと。日本ではなく、ヨーロッパでの評価のみを基準に活動したんです。いきなりプロのレースに挑戦したわけではありません。自分のチームを作る前のブリヂストン監督時代から含めて、年数をかけて土台を築き上げていきました。選手たちをまずは欧州のアマチュアクラブチームに送り込み、経験を積ませた。それからチームを作って、強くなったみんなを招集した。成功までには、やはり、5、6年はかかっています」

2009年末にチームが休止すると、浅田の活動内容はU23以下の育成へと舵を切る。2013年にはNF(国内競技連盟)のロード強化支援スタッフとしてU23日本代表のUCIネイションズカップ転戦を率い、2014年に日本代表監督に正式就任。2016年からはRTAの「ラヴニール」の由来でもある、U23カテゴリー最高峰ツール・ド・ラヴニールへの参戦も開始した。

「1人しか完走できなかった年もあります。ただ2017年は決して悪くありませんでした。シーズン序盤からきちんとネイションズカップポイント収集のための活動をしたおかげで、ワイルドカードでの招待枠ではなく、正式な出場権も得られた。ぶっつけ本番ではなく、事前に準備やレースを重ねていくことで、ラヴニール本番でもあれだけの走りができたんです」

あの年は雨澤毅明が総合39位で終えた。前年大会を体調不良で途中リタイアした後、「1年間ラヴニールのことだけを考えて走ってきた」という雨澤は、しかも難関山頂フィニッシュ2区間を終えた最終日前日まで総合25位に踏みとどまっていた。2ヶ月後のジャパンカップでは、日本人U23選手として初の表彰台にも乗った。

「ツール・ド・ラヴニールは無謀すぎる? もちろん難しいレースですし、とてつもなく高い目標です。でも、夢としてはもっとはるか雲の上の存在であるツール・ド・フランスとは違って、ラヴニールは日本代表として出場権を得る現実的な手段がありますから。そもそもラヴニールを目指さなかったら、どうやって本物の『プロ』を目指すんでしょうか」

ツール・ド・ラヴニール2017最終ステージで集団を牽引をする日本U23(photo:CyclismeJapon)

NFでできないなら自分でやる

日本自転車ロードレース界全体の底上げにつながるはずのRTAは、皮肉なことに、浅田の日本代表監督退任をきっかけに日の目を見た。本来であれば、スポーツ庁とも情報共有される強化戦略プランとして、NFに提案されたプロジェクトのはずだった。

「現時点では『ロードでメダルを取ります』と言えるレベルではない。だから現状を直視して、現実的な計画を立てたつもりです。ただNFとしては、残念ながら、簡単に承認できる状況にはなかったようです。しかも代替案さえ出てこない単一の提案でありながら、NF上層部から後押しを受けるどころか、まったく喜ばれませんでした。この事は本当に苦しかった。それでも、なにがあろうとも、このプロジェクトをやろうと決めていました」

できれば6月末の全日本選手権の機会に発表したかった。しかし何度も待ったがかかる。浅田は繰り返し折衝し、どこが問題なのか、どうすれば承認してもらえるのかを模索し続けた。提案から11ヶ月かけてようやく、NF内部も「プロジェクトの内容自体は承認する」という流れに傾きつつあった。

「問題はお金なんです。予算がないのにどうするの? スポンサーの当ては? まさか連盟費を使うのか? ……って。承認も得られていないのに、スポンサー探しを始められるわけないじゃないですか。まあ、お金がないのはとっくに諦めていたので、それはともかく、できるところから始めましょう、と説得を続けました」

まとまりかけた、そのときだった。フランスのパリ郊外にある日本代表拠点の閉鎖が、正式に決定した。2013年に代表監督就任のオファーを一旦は断った浅田が、1年後に再び打診された際、NF側に出した条件が「ナショナルプロチーム設立活動」と「ヨーロッパ拠点」だった。希望していた合宿所の開設こそ最終的には叶わなかったものの、ロードレースには欠かせないロジスティック拠点だけは確保・維持できていた。

ちなみにTOKYO2020強化戦略プランとして提案した日本代表プロチーム設立に関しては、浅田自らがUCI(国際自転車競技連合)やASO(ツール・ド・フランス開催委員会)との話し合いに出向き、広告代理店と契約し、スポンサー交渉を進め、1年半かけてついには承認にまでこぎつけた。ところがNF主導で設立されたプロチーム運営組織にバトンが渡ると、プランの本質からかけ離れた方向へと進んでいき……いつしかプロジェクトは霧のように消えた。

「プロチーム設立はダメになりましたが、U23の遠征活動は比較的認められていたので、糸一本でかろうじて気持ちをつなげていました。でも、パリ拠点の即時撤収を、NFから言い渡されたんです。パリ五輪目前なのにですよ。さすがに危機感が高まりました。経営判断なので、悪気はないのかもしれません。ただ価値観がまったく違う事や、温度差を改めて認識させられましたね。だったら今は、自分でプロジェクトのスタートを切るしか道はない、と」

RTAを個人として独自に進めること、そのために代表監督を退任することをNFに正式に言い渡した。当初のプロジェクトには、「代表チームサポート」という項目を新たに加えた。

「RTAをなぜやるのか。それは『やる必要があるから』です。NFの意にはどうやら沿わないことなので、外でやるしかないと判断しました。辞めろと言われたわけじゃありません。やる必要があることをやるために、自分がやりたいことをやるために、前向きな気持ちで辞めたんです」

ヨーロッパに若者を連れて行こう

日本代表プロチーム設立活動の際に、多くの関係者に迷惑をかけてしまった。その後悔から、今回のRTAに関しては、正式な承認が下りるまでスポンサー獲得活動には入らないと浅田は決めていた。しかも自らが運営してきたEQADS(エカーズ)のやり方を大幅に見直し、NF主導のRTAと一本化しようとさえ考えていたため、新シーズンへ向けた準備を単独で進めることができなかった。つまり文字通りのゼロ発進となる。

「損得勘定なんか皆無です。ただ、言い出したことをやらずにいることが、我慢できないだけ。こうなったら、RTAが自然にいつの間にかナショナルプロジェクトになってしまっているよう、がんばります(笑)」

民間としての活動に切り替え、風通しは良くなった分、「代表監督」という肩書がなくなったことで、以前のようにはできなくなることもでてくるだろう。だからこそ浅田は、あらゆる方面に、小さな協力を求める。メディアにはPRを、各関係者たちには専門知識の提供を。そして各チームには、日本自転車界全体の発展の追求を。たとえば少なくともU23の2年目までの選手に関しては、コンチネンタルチーム登録を控えてほしい。RTAのパスウェイを積極的に利用してもらうために。チームの枠を超えたヨーロッパ遠征に、未来ある若者たちを積極的に送り出すために。

「ロードで本物になろうと思ったら、昔も今も、ヨーロッパで結果を残すしか道はありません。ロード・トゥ・ラヴニールは地味な活動です。でも価値はあります。希望もあります」

浅田顕氏